慎み深さ(その2):慎み深さについての物語1
ムハンマドの神の前での慎み深さ
預言者(彼の上に慈悲と祝福あれ)はこう言いました。
“全ての宗教には特徴があります。そしてイスラームの特徴は、慎み深さなのです。(アル=ムワッタァによる伝承)”
み だらな、または妬みに溢れた目から自らと所有物を守るという意味での慎み深さは、自らをその言動でどのように表現するか注意するということです。誰も他の 人におかしな目で見られたり、非難の対象として見られたくはありません。慎み深さは他人の前で、また神の前で、振る舞いや考えを正すのに役立ちます。預言 者はある時、彼の教友たちにこう言いました。
“「神の前で、かれに相応しい羞恥心を持って、慎み深くありなさい。」
彼らはこう言いました。「ああ、神の預言者様。神に讃美あれ。私たちは恥じらいを知っています。」
彼 はこう答えました。「そうではないのです。神の前でかれに相応しい羞恥心とは、あなた方が学ぶことにおいて自らの意識を守り、食において自らの意識を守る ことなのです。そして死と、それに伴う苦難を思い出すことです。誰でも来世を望む者は、この世の美飾を避けるものです。ゆえにこれらを全て行う者は、神の 前で本当にかれに相応しい羞恥心を持って、慎み深くある者なのです。」”1
慎 み深さと恥じらいは、人生の全ての部分で適用されます。神の存在を意識することは、私たちが関わる全ての活動において、無理することなく慎み深く上品に振 る舞うことの一助となります。それは善いことを勧め、間違った行動を避けさせる効果があるため、モラルのある振る舞いや慣習を完成させます。 神が見ている、という意識は、間違った行動に対して恥じらいを抱かせるので、肉体の敬虔さと魂の清らかさの盾となります。
「慎み深さは信仰からくるものであり、信仰は楽園にあります。」(アフマドによる伝承)
ムハンマドと婚礼の祝い
預 言者は、ジャフシュの娘ザイナブとのマディーナでの婚礼の際に、人々を婚礼の祝いに招待しました。それは夜遅くに行われたお祝いだったので、ほとんどの 人々は慣習通り、食べ終わったあとに帰って行きました。しかし、新郎がまだ座ったままだったので、何人かの人たちは、きっと彼らも居残るべきだと思ったの でしょうか、預言者と共に、他の招待客が去った後も残っていました。礼儀上、預言者は人々に帰るように伝えるのを嫌い、後見人であるイブン・アッバースと ともにその部屋を去りました。
彼は、新婦ザイナブの部屋に行く前に、もう一人の妻アーイシャのもとへ行き、招待客が察してくれることを期待しました。しかし、彼らはまだ同じ場所に居残っていたので、また後見人とともにアーイシャの部屋へと行きました。
次に戻ったときには、人々は去っていたので、預言者は部屋の中に入りました。イブン・アッバースは彼に従おうとしましたが、預言者ムハンマドはカーテンを閉め、出口を閉めたのです。2
こ の物語から得られる教訓は、他人の家は私的なものであり、招待されたからといって居残ることは恥じるべき行動だということです。さらには、預言者ムハンマ ドの優しさから、彼は人々に去るように言えなかったという点で、どのようにして傷つけることなく教訓を学ばせることが出来るかという例も得られます。彼は 言葉ではない手段を使って、招待客が去るべきだということを示し、彼の私的な場所を取り戻したあと、また別の言葉ではない手段を使って、宴は終わったのだ ということを示したのです。
モーゼとザフォーラ
男性たちの中でたった2人 だけが女性という状態で、彼女たちは長い間列に並んでいました。しかし、ついにある男性が、彼女たちを助けてくれました。彼のおかげで、彼女たちは羊とや ぎの群れを家に連れて帰ることができたのです。彼女たちの父親は年老いており、彼女たちには外の仕事をする兄弟がいませんでした。最も負担のかかる仕事で ある、家畜のための井戸の水汲みは男性によってなされますが、その日は運良く助けを得て、新鮮な水と共に家路につくことができました。彼女たちの早い帰宅 に驚いた父親は、彼女たちに理由を聞き、彼女たちは旅人風の男性から助けてもらったのだ、と伝えました。
父 親は一人の娘に、その男性を招待するようにと言いつけました。娘は井戸に戻り、恥ずかしげに彼のもとへと近づきました。彼女が声の届くところに着いたとき に、彼女は彼に、助けてくれた感謝のしるしとして、父親が彼を招待することを願っている、と伝えました。彼は、その視線を地面に下げたまま、あなた方を助 けたのは神のご満悦を望んでしたことであり、感謝は必要ありません、と答えました。しかし、これが神からの助けだと気付いた彼は、その招待を受け入れまし た。彼女が彼の前を歩き出したときに、風で彼女のドレスがうきあがってしまい、彼女のくるぶしの辺が露わになりました。そこで彼は、彼女が後ろに来るよう に頼み、道筋で分岐点に着いた際に、方角を示してくれるように頼みました。
彼らが家に着くと、父親は食事を用意し、彼がどこから来たのかを尋ねました。彼は自らがエジプトからの亡命者であることを伝えました。彼を家に連れて来た方の娘が、父親にこう囁きました。「お父さん、彼を雇ってください。最善の働き手とは強くて信頼のおける者です。」
父親は彼女に尋ねました。「どうやって彼が強いと分かるのか?」
彼女は言いました。「彼は、沢山の男性たちでしか持ち上げられない井戸の石蓋を、一人で持ち上げました。」
父親は彼女に尋ねました。「どうやって彼に信頼がおけると分かるのか?」
彼女は言いました。「彼は、私の姿を見ずに済むように、私に彼の後ろを歩くように頼み、私が後ろにまわってからも、恥じらいと敬意から視線を下げたままだったからです。」
これが預言者モーゼ(彼に神の慈悲と祝福あれ)です。彼は、誤って殺人を犯した後にエジプトから逃避しました。娘たちの父親はミディアン部族の敬虔な男で、息子はいませんでしたが、この二人の娘を授かったのでした。
このクルアーンの節では、預言者モーゼに近づいた娘の振る舞いが強調されています。
「二人の娘のうちの一人が慎み深く彼のもとに近づき…(クルアーン28章25節)」
ザ フォーラが預言者モーゼに近づいたときと、預言者モーゼが必要以上に彼女を見なかったときの振る舞いは、正しい礼儀作法を示しています。彼女には付き添い がいたわけでも、他の人が見ていたわけでもありませんが、両者ともお互いに対して最高の礼儀作法で振る舞いました。これらの行動は、全てを見ている主への 畏れから出たものです。その結果として、父親は彼に、娘たちのうちの一人と結婚するように申し出、預言者モーゼ自身も彼女たちを妻として適した女性だと見 なしました。父親と娘たちも、預言者モーゼを導きと守りを生涯通して与えてくれる夫として必要な性質をとりそろえた男性だと見なしました。預言者モーゼは 婚姻を受け入れ、また10年間羊飼いとして雇われることも受け入れたのです。