ハッジ― 巡礼(前半)


Site Team

一年に一度の、あの時期がやって来ました。そ う、世界中のムスリムたちがせわしくなる時期です。彼らの心の故郷が、彼らをいざないます。それは、愛おしい神の御殿を訪れる時期であり、「故郷」に帰る 時期なのです。それはカアバ聖殿を訪れる時期です。すべてのものを後に残し、神に従う時期であり、儚い現世を放棄し、神の家を訪れる時期です。それは、 ハッジ―巡礼の時期なのです。それが可能な人々は、マッカへと旅し、それが叶わない人々は、どこにいようと、犠牲祭を祝うことによってそれに参加します。


ハッ ジとは愛情の記念であり、信仰の祝賀でもあります。私たちは、アブラハムによる究極の愛の犠牲をミナーで記念します。私たちは彼の妻ハガルによる、息子イ シュマエルへの前例なき愛情、そしてサファーとマルワの荒野における、神意への揺らぎなき信頼を記念します。私たちは、最終啓示が下されたアラファの地で 一日を過ごすことによって、神による最も偉大な恩恵、クルアーンに敬意を示します。私たちは、カアバを直接目の前に礼拝をすることにより、信仰を祝いま す。

 

 

ハッジはまた、自制心を養う行為でもあります。世界中のムスリムは棺桶に収められる状態を連想させる、2枚の白い布を上下にまといます。それは現世からの死、そして真の家へと向かうことを象徴します。彼らは負債を返済し、皆からの許しを求めて別れを告げ、神と会うために現世での死を覚悟します。こうしてカアバを目指すハッジの準備は完了します。

 


カ アバは特別な場所であり、それは最初の人間によって築かれた、最初の崇拝の家です。神は旅をするよう、アダムに命じました。彼は数ヶ月間歩き続け、神の導 きによってマッカに辿り着きました。そこで彼は、神のために家を築くよう命じられました。これが、人類にとっての最初の崇拝の家なのです。ここが、彼が最 初に愛すべき御方との別れを嘆き悲しんだ場所であり、ここが彼が楽園での栄光を失ったことに対し、数え切れない程の涙を流した場所です。またここが、私た ちが神へのお近づきを求める場所であり、ここが私たちが神への親密さを求める場所なのです。この家こそは、可視宇宙・時空の遥か彼方に位置するもう一つの 家の原型であり、地上での滞在にも関わらず、愛すべき御方の御殿における、神の定めへの調和としての最初の行為なのです。

カ アバは特別な場所であり、それは一時失われましたが、愛すべき御方は、アブラハム(神の称賛あれ)をこの聖地へと導き、御殿を再建する使命をお与えになり ました。我らの父は、その息子イシュマエルを伴ってこの聖なる使命に携わりました。数カ月にわたり、父子は灼熱の砂漠の太陽の下、永久なる神への愛情に燃 えつつ、汗を流して働きました。この選択は、無作為のものではありません。アブラハムはこの仕事をするために選ばれた者なのです。毎年、人々はズル=ヒッ ジャ月の10日に、この祝福された家を訪れます。この祝福された日に、神はアブラハムが究極の犠牲を捧げるよう命じ、彼はそれに応えました。アッラーはアブラハムが彼の息子イシュマエルを犠牲に捧げることを命じ、彼はその実行を決意したのです。

 

 


カアバは特別な場所であり、その基礎はアブラハムの家族の愛情と信仰によって築かれたものです。私 たちはその場所を訪れ、愛を記念します。私たちはその場所を訪れ、信仰を祝います。アブラハムは真の意味で、自らの身を神に委ねていました。彼は何よりも 神を愛していました。神は彼に、彼が自分の息子を犠牲に捧げている夢を見させました。その夢は繰り返されたため、彼はそれが単なる夢ではなく、永久なる御 方による暗示であることに気が付きました。彼はその夢の詳細を息子に告げると、彼はそのことにためらうことなく同意しました。それが神のご意思によるもの であることが分かると、息子は何も言い逃れをしようとはしませんでした。神のご意思が達成されることは、始めから分かっている結論なのです。父子は定めら れた場所に向かいました。彼らが目的地に到達すると、息子は父に、愛情によって神の命令に背く気を起こさせないために、彼が目隠しをするよう提案しまし た。アブラハムがナイフを振りかざそうとしたその瞬間、息子は子羊に取って代わられました。この日、この時は聖なるものとされたのです。毎年、この日にな ると数百万人がここを訪れます。数百万の人々が、ミナーの峡谷で二人の足跡をたどるのです。人々は二人が止まった場所に止まり、二人が歩いた場所を歩き、 究極の犠牲が捧げられた場所にまで足を運びます。ここで、人々は神への愛情から犠牲を捧げ、現地の貧しい人々にそれを分け与えます。そして、こよなく愛す る息子を捧げることをも厭わなかった、アブラハムによる神への燃えるような愛情と信仰に思いを馳せます。そこに行くことの出来ない人々は、どこにいようと もこの犠牲を祝います。神への愛情は、祝賀されて然るべきものです。

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